オランダ、アムステルダム観光で一番印象的だったゴッホ美術館。誰もが知っている有名な作品、ひまわりやゴッホの自画像を鑑賞できるだけでなく、ゴッホの波乱万丈な生涯やどのようにしてゴッホの絵が世に出されることになったのか、そしてその時々でゴッホが感じていたこと等、たくさんのストーリーを知ることができました。
素朴な画家
ゴッホの初期の絵を見ると、茶色や黒の薄暗い雰囲気の絵がたくさんありました。画家を目指しはじめた初期の頃に主題としていたのは、「農民の生活」だったのです。農民が厳しい自然環境の中で、種まきから収穫まで生命のサイクルと結びついて仕事をし生活している様子に、ゴッホは「誠実で素朴」な美しさを見出していました。

泥にまみれてじゃがいものような顔の絵画。私がこれまで触れてきたゴッホの絵は、カラフルで優しい「ポスト印象派」の絵画だったので、ゴッホの根本にはこのような考え方や価値観があったことに意外性を感じました。素朴な画家として、親近感を感じました。
パリでのインスピレーション

ゴッホはオランダからベルギー、そして33歳でフランスのパリに移り、当時のパリで流行りとなっていた印象派の影響を受けます。たくさんの絵画に触れ、ゴッホの描く色彩が大きく変化しました。こうして芸術の最先端を行くパリでインスピレーションを得ることで、ゴッホの才能が開花していきました。

こちらは有名なゴッホの自画像。教科書でよく見ていた絵ですが、実は他にも自画像がいくつもあり、「一つじゃなかったんだ!」という恥ずかしながら発見がありました(笑)いつも帽子をかぶっている様子がなんともチャーミングです。

1889年の作品「ひまわり」。自然や日常にある不完全性が残された作品。枯れゆく命が美しい黄色の絵の具で描かれています。
哀愁漂うゴッホの晩年
ゴッホの物語を理解するためには、弟のテオやその妻ヨーの存在を無視することはできません。ゴッホは生きている間に自分の絵が世の中で認められている様子を見ることはできませんでした。27歳で画家を目指すことを決意してから、周りに認められない時期も弟のテオとの手紙のやりとりを心の支えに、描き続けました。美術館には、テオとゴッホのやりとりが記されたたくさんの手紙が展示されていました。

ゴッホの物語を知る中で最も印象的だったのが、ゴッホの最期です。画家生活を精神的にも経済的にも支えてきた弟のテオが、ある時、金銭面での悩みを打ち明けました。そのことがきっかけとなり、ゴッホは拳銃で自分の胸を撃ち、自殺をしてしまったのです。自分の存在が弟テオの家族の負担になっていることを感じたのでした。37歳という若さでした。ゴッホの心には誰にも埋めることのできない悲しみや孤独、苦悩がありました。自然の中で描く絵画が唯一の心の癒しとなっていたのでした。

ゴッホの死後、テオは彼の作品を世に出そうと全力を尽くしました。しかし、彼も後を追うようにしてゴッホの死から半年後に梅毒で他界してしまいました。その後、テオの妻ヨーは彼らの意志を継ぎ、手元に残った作品を展覧会に貸したり手紙を出版するなど、献身的に努力しました。
私はゴッホ美術館を訪れてはじめて、テオやヨウの助けがあってこそのゴッホだということを知ることができました。
ゴッホ美術館を訪れて
10年間の軌跡

ゴッホは16歳の頃に偶然にも国際的美術商の従業員になる機会を得て、若い頃から美術作品への目を養う機会に恵まれていました。この時の環境や経験は、後のゴッホに大きな影響を与えているはずです。しかしながら、天職を見つけて画家を目指そうと決めたのが27歳頃。意外と遅くからのスタートだと感じました。大人になってからの10年間でこれだけの成果を残すことができたということに驚きました。それと同時に、私にもまだまだ挑戦できることがありそうだ、となんだか勇気が湧いてきたのです。
自然の美しさを感じる感性
ゴッホの作品の魅力は、なんといっても素朴な日常の風景の中にある美しさを表現していること。その感性が私も好きで、空の美しさや黄金の麦畑の美しさ、見え方のレベルは全く違うのかもしれませんが、自然の美しさに感動する心にはとても共感できました。

ちょうどゴッホ美術館を見学していた時に嬉しいことがありました。窓の外から、アムステルダムの街にかかる綺麗な虹が見えたのです。なんだかゴッホからのメッセージを受け取っているようでした。

悩みを抱えながら貫く信念

今では世界的に認められている画家、ゴッホ。それでも生前はたくさんの悩みや苦悩を抱えていたことを知り、どんな人もひとりの人間であることを感じました。それでもゴッホには、誰に認められなくても自分の愛している絵画や信じている画風を描き続ける信念がありました。私もそうやって、自分の人生を信じるままに生きていきたい、自分の愛するものを愛し続けたい、と思いました。